虚弱体質と虐待から幸せモードへ❣️

6歳5月(裏に記載)父写

いつものポーズでした…😓

未熟児で生まれ、母がお乳出なかったので初乳飲まず、ケースに入れられ鼻からチューブを入れられていました。

虚弱体質、虚弱児についてはググるとたくさん出てきます。

私は先天性。

[引用]

・胃腸が弱く、便秘や下痢を起こしやすい

・呼吸器が弱く、風邪などひきやすい

・心臓血管系が弱く、いつも青白い顔をしていて、貧血になりやすい

・精神的に虚弱

・骨や筋肉が細い

“虚弱体質とはどういうこと? 改善はできる?”より

https://www.excite.co.jp/News/column_g/20170508/Mocosuku_40503.html

これらほぼ全てです。

小さな障害が内臓などいろんな所にあります。病気認定されない中途半端なのが「虚弱」なのです。

精神的には、母が子供嫌いで産みたくなかった、おろそうとしていた、育てる意欲が少なかったので、母性愛を知らずに育ちました。

ケースに入れられていた時、「何もしなくていいから楽だ」と母は言っていたそうです😭

幼児の頃、拒食症で栄養失調になったと聞いています、 追いかけられて無理矢理食べさされて何度も吐いたのを覚えています🤮

父や祖父母が守ってくれたおかげで命を繋げたようです。

幼児期、笑顔の写真はありません、大人になってからインナーチャイルドセラピーしたとき、子供=元気という一般的な図式が無く、とにかく癒しを必要としている存在でした。

何度か高熱で危なかったようです…夢だと思っていたのが後に分かったことで、体外離脱だったというのもあります。

小学校の頃も大病で入院はなかったけど、毎週ほど風邪や熱で休んでいました。勉強、体育もほとんどできませんでした。あともう少しで特殊学級(今の障害児クラス)に入れられるところだったようです。

唯一、図工だけは褒められて、毎日ごそごそなんやかや描いたり作ったりしていました、今思うとアートセラピーだったんだなって💖🎨

母は相変わらず「子供嫌いや!」と叫んで、しょっちゅう布団叩きでしばきまくりました!

虐待です😭

いつも泣き叫んでいました。父が帰って来ると抱きついて離れませんでした。その頃は祖父母と離れて親子3人(兄は祖父母の所)で暮らしてました。

世の中には虐待死してる子供がいますが、父も同じようだったら確実に死んでたと思います、報道があるたびに人ごとでないような気がします…

母に対しては恨みしかなく、思春期の悩みの根源でした。

幸い6年生の時に父が定年を迎え、家にいるようになったので、もういつもひっついていました😅

日曜大工手伝ったり、クラシックレコード聴いたり、いろんな本読んだり…

隠居生活を一緒に楽しんだという感じで、若い娘にしてはちょっと変わった趣味や知識が身につきました😂

その頃は人並みな体力に近づいていましたが、それでも学校から帰ると疲れてしばらく寝ないと動けない10代でした。もちろんスポーツなんてできません…

高校時代京都の鴨川の近くだったので、毎日登下校川辺を通ってウオーキングでなんとか体力保持していました🚶‍♀️🦆野鳥観察の楽しみを覚えました🕊

大学は家から遠くて、兄の本家に下宿させてもらいました、母から離れてホッとして義姉さんと姪たちとも楽しい日々でした👨‍👩‍👧‍👧

ヨガや登山を始めたのはこの頃でした、少しずつ体力ついてきたのね〜♪ 登山の次の日はぶっ倒れていたけど…

でもまた卒業して家に戻ったら母へのストレス😱

すでに母は糖尿病で入退院を繰り返し、私が家事をしていました、怒鳴り声とともに…家族みんなを振り回していました。

高校の時から看病はなんと20年ほど続きました…😭

就職してからはもっぱらセラピーやヒーリング、カウンセリングに傾倒しました。

「汝の敵を愛せよ」

というのが私の今生での大きな宿題だと気付きました🤔

鬱にもなりました、結婚して子供ができた後子宮筋腫肥大化して、全摘手術もしました🏥

振り返ると、この世は地獄…

母一人の存在のために…

けれども生きてこれたのは周り全ては優しく接してくれたからだと思う💖

ようするに母は偉大な反面教師でした❗️

自分の娘の子育てするとき、正反対をしたら全てうまくいき、健康で母子仲良くよいこに育ちました😍

今となっては貴重な経験だったとやっと思えるようになりました。

子育て中は一番元気だったと思います、子宮筋腫なる前。

天気の良い日は公園やいろんな所に連れて行って、健康的な生活してましたし、これが母子の愛なんだと心から思えていたので、幸せでした✨

母の死後は父が認知症になり、5年ほど介護をしました。

優しかった性格が変わり、誇大妄想、被害妄想などもあり大変でした😭

父も母のことで辛かったんです、戦争の記憶も出てきてました。みんな吐き出したみたい…

父の最後の入院の時、私は過労から高熱が2週間ほど続き、生死をさまよいました。

鬱もあり、危なかったです😰

プチ臨死体験して、“まだやることがある”とある存在にはっきり言われて戻ってきました✨

50歳の時です。

その後もずっと体調悪く、ほんとに病院通いばかりでした…

心身困憊で、なんで生きてるのか?死んだ方が楽だといつも思っていました。娘がいなかったらさっさとあの世に行ってたかもしれないけど、自死は迷いの世界に行くと知っていたので、留まっていました。

最終的には古神道を学んでいたおかげさまで、心が持ち堪えたのかと思います。

また、神様には“助けて助けて❗️”といつも心で叫んでいました。本当の親は神様ですから、必ず助けてくれます✨守護霊、守護神様もいつも意識して感謝をしています🙏

私は信心深い人間ではなく両親は無宗教、不思議なご縁で神仏への感謝を学ぶことができました☺️

心身魂全てで存在していることへの気づき✨

今、湖岸でゆっくり平和に暮らしているのは、人生の宿題が終わったからだと思っています。父の妹の伯母は、いつもそれを言ってくれます💖

けっして人生の優等生ではなかったけど、そんな私でも神様は助けてくださったし、弱くても生きてこれた。

もちろん、ずっとあらゆる心身健康対策をしてきました。

今は栄養療法も取り入れるようになりました。発酵食品やプロバイオティクスも欠かせません✨

とにかく内臓などの機能が弱いので吸収が悪く、栄養が行き渡らず苦労してましたが、なんとか最近は標準体重を保てるようになりました😊🎵

まだまだ健康体とはいえないけど、おかげさまでたくさんの学びと優しい家族、友人知人、にゃんずにも恵まれて今は本当に幸せです💕😻

還暦までよく生きられたといつも思う、これからも身体の健康第一に、孫の顔も見たいしまだやることもあるようだし、幸せに生涯をまっとうしたいです

死にかけの人間でも、なんとか幸せに生きられるようになったので、この体験がなんらかのお役に立てれば幸いです💖つたない長い文章を読んでくださってありがとうございました🙏 

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